静かに、でも確実に

written by ゆき

デート「午後のおやつ」に少しだけ繋がる箇所があります。明確にネタバレではないとは思いますが……。

 たとえば、らしくもなく夜空を見上げた時。
 たとえば、自ら進んで食物に興味を持った時。

 変化というものは如実に現れるもので。

 *******

 
 以前受けたシモン教授の講義へ再び足を運んだ彼女。だが、そのことを本人には伝えてはいない。所謂内緒の行動というわけだ。
 開始時間が近づくにつれて、教室内が静まり返りつつあるのを感じる。室内に居る者の大半は講義内容目的だと思いたい。
彼女も自然と周囲に感化されたのか幾ら二度目といえど、緊張感に支配させようとしていた。そんな折、隣に座った同い年くらいの女子が話しかけてきた。
「ねえ、あなた、シモン教授の講義を受けるのは初めて?」
 彼女は恋花大学の生徒なのだろうか。すごい派手というわけではないが、それなりに学生に溶け込んでいる。
「あ、えっと、実は二度目で……」
 悠然がそう答えると、
「それにしては、大分緊張しているようだけど。というか、ここの生徒じゃないよね」
「あ、うん。生徒ではないんだけど、前回とてもよかったから」
「最初は教授のルックス目当てで入り込んでくる子多いから、割と倍率高いんだよね。でも、あなたはそうじゃないみたい」
 そう言ってもらえるのは嬉しいけど、内心は冷や汗が流れている。あながちそうじゃないとも言い切れないがゆえに。だが、彼の研究内容を尊敬しているのは紛れもない事実だ。
「ありがとう。教授の講義はとてもわかりやすくてためになるからまた聞きに来たいかな」
「わかる!」
 そこまで会話した所でベルが鳴り、教授が室内に入ってきて、教室内は緊張感に包まれた。
 なるべく見つからないようにしていたと思っていたのは悠然だけだったようで。


「今日、恋花大学で講義があったんだけど、見知った顔をみかけたよ」
 シモンから通話があったのは、その後会社に戻って企画書を練っていた時だった。
「へえ、シモンの知り合いって誰だろう」
 まさか本人にバレているとは知らずに、彼女はしれっと返す。
「僕がその人の脇を通るとわざとらしく顔を隠すのが印象的で、つい気になってしまったんだ」
 彼の声のトーンから察するに、どうみても探っているのがありありと分かる。それでも
「なんでだろうね。後ろめたいことでもあったのかな」
「例えば、」
 そこで彼が一旦言葉を切ると、電話の向こうで衣擦れの音がした。
「?」
 そういえば、シモンは今どこにいるんだろう……と、彼女が思案したその刹那、オフィスのドアを誰かがノックした。
 え――、と思い、音のする方を向くと、今まさに通話をしていた相手が笑みを浮かべて立っているではないか。
「どうして、とでも言いたげだね」
「だって……てっきりまだ研究室にいると思っていたから」
「そういうきみこそ、今日は僕に用事があるんじゃなかったの?」
 彼は未だに仕事をしている悠然を怪訝にでも思っているのだろうか。
「あ、これはね、ちょっとアイデアが浮かんだから……」
 昼間、大学を出てから家に帰らず、会社のオフィスに立ち寄った後でも余裕で間に合う筈だった。
 ついうっかり捗ってしまったのは誤算か。
 慌てて書類を片付けながら、パソコンの電源も落とそうとする。
「シモン、ちょっと待っててね。帰る支度をするから――」
「帰る?きみの部屋に?」
「もう、シモンには隠し事はできないよね……」
 溜め息を吐くと、今日という日は大変意義のあることだということを改めて伝えた。
「――それじゃ、そのお祝いというものに期待してもいいのかな」
「お、お気に召すかどうかを問われると自信はなくなるんだけど」
 すると、彼はぽんぽん、と彼女の頭部を軽く撫で付けると、
「冗談だよ。楽しみにしていたのは事実だ」
 にっこりと笑顔で返されて絆されない訳はない。彼女は頬に熱を感じながら、
「出来はどうであれ、私なりに精一杯準備はしたからね」
「うん、知ってる」
 おいで、と手を差し出され、フロアからエレベーターの中も手は繋がれたままだった。外界の空気はまだ冬の序盤だからか、そこまでは寒さを感じない。だがそれでも、手を繋いでいると、触れている部分以外がやけに心許ないのは何故だろう。
「シモン今日は車なの?」
「いや、なんとなく歩きたい気分だったんだ」
 だから、このまま帰ろう。そう言うと、ぎゅっ、と更に力が込められた気がした。
 
悠然は昼間出会った子に心の中でのみひっそりと謝罪した。彼女はまさか知り合いだとは思っていないだろう。次にまた会うことがあるのならばもう一度話をしたい。そう願うのだった。

 シモンは彼女と出会ってから、静かに徐々に何かが芽生えてくるのを感じてきていた。