「ねえ、シモン?もうすぐシモンの誕生日だね」
電話越しにでもうきうきした気持ちが伝わってくる弾んだ声だ。
立て込んでいる実験の間にかかってきた電話は、案の定、撮影の企画に行き詰った彼女からだった。それだけかと思いきや、シモン自身の誕生日の話が始まる。
「覚えてくれていたの?」
「もちろん!忘れないように、手帳に書いてあるんだから」
「嬉しいな。ありがとう」
少しの沈黙。
きっと彼女の顔は赤くなっているはずだ。
彼女は自分の気持ちを素直に表現してくれる。
「プレゼントは何がいい?」
躊躇いがちに尋ねられた声は小さい。
もしかしたら、仕事の相談より、こちらの方が本題なのかもしれない。
そう考えると、自分の意志とは関係なく、口元が自然に綻んだ。
彼女のそばにいると勝手に零れ出す言葉は、ひどく甘く優しい。
「そうだな。きみがくれるものなら、なんでも嬉しいよ」
「……でも、決められないよ」
彼女のことだから、すでに色々考えてくれたのだろう。
その優しさに触れるたびに、暖かな陽だまりで転寝をする猫を思い出す。警戒心の強い動物は寝ているときでさえ、外敵から身を守るためにアンテナを張っている。たとえそこがどんなに安全だと分かっていても、自分を守ることができるのは、自分だけだと分かっているのだ。
その安息が仮初の時間だとしても、たまにひどく欲しくなる。
「じゃあ、僕の研究の実験台になってほしいな」
「え。実験台?」
「そう、人体の中身をまだ見たことがないから、見てみたかったんだ。悲しい時や、楽しんでいるときに、どんな動きをするのか、とても興味がある」
「そ、それって……」
彼女が息をのむ音が電話越しに聞こえてくるようだ。
何度からかっても、変わらずに反応を示す。どこまでも透きとおったその白さが、僕にとっては眩し過ぎるのかもしれない。
「どうしたの?心は目には見えないから、困っているのかな?冗談だよ」
「こ、ココロ?」
「そうだよ。君の心の中を覗いてみたいな。今は……驚いてる?それとも、怒っているのかな?ごめんね」
やっと、からかわれたと気づいて拗ねた声で抗議を始める。
耳に流れ込んでくる声や空気だけで推測できるほど、素直に感情を表せる彼女が可愛い。いつまでもこのままでいてほしいし、このままではいられないだろうことも知っている。
携帯を持つ指先が冷たくなっていて、冬の到来を予感させている。
楽しいときでさえも、冷えわたるこの胸に、惜しみない陽だまりを与えてくれる彼女。
「きみがそばにいてくれるなら、それだけでいいんだ」
「……シモン」
隣で泣いたり、笑ったりする彼女の表情を見ていたい。
「きみの一日を僕にくれないか」
「もちろんだよ。任せて!シモンの誕生日は、シモンが一番幸せな日になるよ」
「楽しみにしているよ。今日はもう遅いから、おやすみ」
返事をした彼女の声は、僕に対する信頼や労わりで溢れている。名残惜しく思いながらも、電話を切った。
講義が終わって研究室で一息ついたとき、本を読み終えた瞬間、美しい景色を見たとき。
日常の挟間で、彼女を想うことがある。
無理はしていないだろうか。
困っていることはないだろうか。
自分の中を他の人間に侵食されているような感覚が、怖くもある。
それでも、自分の誕生日がくることが楽しみで、痛み始めた胸をそのままに目を閉じた。